ルーキウス・アンナエウス・セネカ(Lucius Annaeus Seneca) (前4年頃~後65年)
古代ローマのストア哲学者。暴君ネロの時代を代表する著作家として知られる。
セネカが残した書『怒りについて』や『倫理書簡集』から、彼の言葉をご紹介します。
怒りは自分が損するもの
怒りは抑えなければならない。撃つべき相手が同格であろうと、まさっていようと、劣っていようと。同格の相手との争いは不安の種、まさる相手なら狂気の沙汰、劣る相手なら面汚しだ。
セネカ『怒りについて』
まずそもそもの考え方として、セネカは次のような考えから、怒るのはやめといた方がいいよと忠告してくれています。
怒りの相手が自分と同格なら、今後色々不安の種となってしまう。
格上の相手なら、怒るだけあなたが損する。(なのに怒るのは、バカみたい)
格下の相手なら、あなたの面汚しになる。相手にするなと。
大いなる怒りの行き着く先は狂気だ。だから、怒りは避けねばならない。節度を保つためというより、健全であるために。
セネカ『倫理書簡集Ⅰ』
『倫理書簡集Ⅰ』でも同様のことを述べています。健全であるために怒りは避ける。
そうとはわかっていても、怒りって突然発生することもありますよね。
そのための対処法もセネカが教えてくれています。
怒りが支配する前になんとかはねのける
最善なのは、怒りの最初の勃発をただちにはねつけ、まだ種子のうちに抗い、怒りに陥らないよう努めることである。一度常軌をはずれ、斜めに進み出すと、健全なあり方に復帰するのは難しい。
まず最初に、危険きわまるものは、支配するより締め出すほうが、いったん認めてから抑えるより認めないほうが簡単である。なぜなら、そうしたものは、一度己を占有のうちに置かせたならば、支配者より強力になり、自分が切り除かれるのも切り詰められるのも許さないからだ。
セネカ『怒りについて』
いちばんよいのは、怒らないこと。
後悔するまえに、怒りの感情をはねのけられたらいいですね。
何かに腹が立ったと思ったら、いや別に自分は怒ってなどいない、とすぐ否定するといいかもしれません。
「むかついたけど、別に怒ってない」などと、一言言えれば、怒りにまかせて失敗することは防げるかもしれません。
時間の猶予を与える
怒りに対する最良の対処法は、遅延である。怒りに最初にこのことを、許すためではなく判断するために求めたまえ。怒りには、はじめは激しい突進がある。待っているうちにやむだろう。全部取り去ろうとしてはならない。一部ずつ摘み取っていけば、怒り全体を征服できるだろう。
セネカ『怒りについて』
相手に対して怒りを感じるときに、無理やり、相手を許すことを考えるのは難しいです。
「相手もわざとじゃないのだろう」
「急いでいたのだろう」
「何かつらいことでもあったのだろう」
明らかに相手の悪意を感じるときなどは、こんな風に思いやってなどいられないですよね。
そこでセネカは、「相手を許す」ためではなく、「判断する」ために時間をとれといっています。
そのうち、どうでもよくなってきたら成功!ってことでしょうか。
自分と戦う
あなた自身と戦いたまえ。あなたが怒りに勝つことを欲するなら、怒りがあなたに勝つことはできない。怒りを隠せば、出口を与えなければ、あなたは勝ち始めている。怒りの徴を埋めようではないか。そして、できるかぎり、それを隠され秘め置かれたままにしておこう。
セネカ『怒りについて』
これができれば最高だな、という究極のような気もしますが。
怒りを感じても、表にださずにいられる人いますよね。
尊敬してしまいます。
相手がどうこうではなくて、自分自身との戦い。
あなたが怒りに勝つことを望めば、怒りはあなたに勝つことはできない!
出典
・『怒りについて 他二篇』 (岩波文庫)
・『セネカ哲学全集〈5〉倫理書簡集 I』 岩波書店