マルクス・アウレーリウスは、古代ローマ第16代皇帝でした。
皇帝ほどの高い地位であれば、さぞかし周りはイエスマンばかりであったろうと思ってしまいますが、『自省録』を読む限りそうではなかったようです。
他人の言動に対して、どう対処すべきか、たくさんの言葉が記されています。
苦労が多かったのでしょう・・・
苦悩していた皇帝から学べることが何かあるかもしれません。
自分のなすべきことに集中する
隣人がなにをいい、なにをおこない、なにを考えているかを覗き見ず、自分自身のなすことのみに注目し、それが正しく、敬虔であるように慮る者は、なんと多くの余暇を得ることであろう。[他人の腹黒さに眼を注ぐのは善き人にふさわしいことではない。]目標にむかってまっしぐらに走り、わき見するな。
マルクス・アウレーリウス『自省録』 第4巻 18
君が怒ったところで、その人間は変わらない
よし君が怒って破裂したところで、彼らは少しも遠慮せずに同じことをやりつづけるであろう。
マルクス・アウレーリウス『自省録』 第8巻 4
その人間がどういう人間であるかを見れば、仕方がないと思えるかもしれない
他人が君を非難したり、憎んだり、これに類した感情を口に出したりするときは、彼らの魂へ向かって行き、その中にはいり込み、彼らがどんな人間であるか見よ。そうすれば彼らが君についてなんと思おうと気にする必要はないということが君にわかるだろう。
マルクス・アウレーリウス『自省録』 第9巻 27
世の中に、恥知らずがひとりもいないわけがなかろう
他人の厚顔無恥に腹の立つとき、ただちに自ら問うてみよ。「世の中に恥知らずに人間が存在しないということがありうるだろうか」と。ありえない。それならばありえぬことを求めるな。その人間は世の中に存在せざるをえない無恥な人びとの一人なのだ。
マルクス・アウレーリウス『自省録』 第9巻 42
どうしようもない時は、人生は短いことを考える
ひどく腹が立ったり悲しかったりするときには、人間の一生は短いこと、まもなく我々はみな墓に横たえらえることを考えるがよい。
マルクス・アウレーリウス『自省録』 第11巻 18