遠くを見る
憂鬱な人に言いたいことはただ一つ。「遠くをごらんなさい」。
憂鬱な人はほとんどみんな、読みすぎなのだ。人間の眼はこんな近距離を長く見られるようには出来ていないのだ。(中略)夜空の星や水平線をながめている時、眼はまったくくつろぎを得ている。自分のことなど考えるな、遠くを見るがいい。
アラン『幸福論』
アランの知恵の大きな特徴のひとつは「考えるな」ということです。
近視眼的に考えすぎても、たいてい気分は晴れない。
どうして憂鬱なのかなど考えず、夜空でも眺めているほうがくつろげる。
ほほ笑む
気分に逆らうのは判断力のなすべき仕事ではない。判断力ではどうにもならない。そうではなく、姿勢を変えて、適当な運動でも与えてみることが必要なのだ。なぜなら、われわれの中で、運動を伝える筋肉だけがわれわれの自由になる唯一の部分であるから。ほほ笑むことや肩をすくめることは、思いわずらっていることを遠ざける常套手段である。
われわれが情念から解放されるのは思考のはたらきによってではない。むしろからだの運動がわれわれを解放するのだ。
アラン『幸福論』
自分の意志で憂鬱な気分を変えようとしても難しい。
でも、運動する筋肉は、自由に動かせるじゃないかといっています。
ほほ笑んだり、ちょっとダンスでもしてみれば、気分も少しはまぎれるはず。
自分にも他人にも親切にする
他人に対して、また自分に対しても親切であること。他人が生きるのを支えてあげること、自分が生きて行くのも支えてあげること。これこそ、ほんとうの愛徳(シャリテ)である。親切とはよろこびにほかならない。愛(アムール)とはよろこびにほかならない。
アラン『幸福論』
幸せな気分でないからといって、他人に冷たい態度で接すると、余計に気分が悪くなったりします。
反対に、親切なことをして、自分までなんだかいい気持ちになることはありますよね。
だから、気分がすぐれない時にこそ、あえてこのように行動するといいのかもしれません。